大阪高等裁判所 昭和37年(う)1579号 判決
判決理由〔抄録〕
よって案ずるに、原判決引用の証拠を綜合すれば、原判決摘示事実中、被告人は判示会社のバス運転者であるが、昭和三六年一〇月三日午前八時頃判示営業用大型乗合旅客自動車を運転して網干港方面より龍野市方面に判示道路を時速約四〇粁で北進中、進路前方右側道路上を対向して数台の自転車が縦に二列の群をなして接近し、また進路前方左側道路上には被害者小林比佐子(当一八年)が自転車に搭乗して同一方向に進行しつつあるのを認めた事実、及び判示地点において前記対向する自転車の群の内一台が突然右に方向転換して被告人の車の前正面に飛び出したので、被告人はこれとの衝突を避けるため急遽ハンドルを左に切り減速の措置を講じたが進路前方左側を同一方向に進行中の前記小林比佐子の搭乗する自転車に接触させ同人を転倒轢死せしめた事実が、それぞれ認められる。そこで、本件事故発生が原判示の如く被告人の業務上の注意義務懈怠による過失に基くものか否かの点について検討する。本件記録、及び当審における事実取調べの結果によると、本件事故発生現場は網干港より龍野市に通ずる兵庫県揖保郡太子町矢田部一〇一番地の一先のアスファルト舗装の勾配のない平坦な直線道路上で、道路の有効幅員は六・二米、道路の東側は名城ソース株式会社の工場があるが、西側は田地で見透の良い道路である。被告人の運転したバスの幅員は二・四米全長一〇・四米であり、被告人は右大型バスの右車輪が道路中心線よりやや右側を走るようにして運転北進中約一〇〇米前方から進路前方道路左端を被害者が自転車に乗り同一方向に進行し、さらに反対方向から道路右側(被告人の車よりみて)を数台の自転車が二列に竝んで来るのを認め、被告人の車が同一速度を保ち進行すれば、対向する自転車の群と擦れ違うのと殆んど同時、或はその直後に被害者の搭乗する自転車を追い抜くことが予想される位置関係にあったが、右道路の幅員と、被告人の車の幅員とを考慮すれば、左右の余裕は可なり乏しいものであったが、前記各自転車が正常に進行する限り、被告人において格別減速の措置を講ぜず直進しても無事その場を通過し得る情況にあったことは原判決の認定するとおり明らかである。ところが、前記対向する自転車の群の中から一台の自転車が道路を横断するためか、或は先行の自転車を追越すためか、被告人の車の正面約七乃至八米の地点に飛出して来たので、これとの衝突を避けるため被告人は急遽ハンドルを左に切ると共にブレーキペタルを踏み車を道路左側に寄せ右側バックミラーにより右自転車との接触のなかったことを確めハンドルを右に戻したのであるが、そのため同一方向に進行中の前記小林比佐子の搭乗する自転車に車体左前輪附近の凹んだ個所を接触させ本件事故を起した事実が認められる。原判決は自転車は時として意想外に異状な進行をなすものであるから、こうした狭い道路上で大型自動車を運転する者としては、自己の車が対向から接近する自転車、及び同方向に進行する自転車と前示のような関係位置に至るべき場合においては、対向自転車と擦れ違いざまに、同方向に進行する自転車を追越そうとすることによって惹起すべき接触事故の可能性を少くするため、上記各自転車から相当の距離を置いた地点から適度の減速をなすことにより、擦れ違いと、追越しとの間の時差を大きくすると共に、とっさの場合における急停車乃至方向転換による接触避止のための措置の有効度を高める配慮をなすべき業務上の注意義務があるにかかわらず、これを怠り同一速度で進行した過失により本件事故が発生したものであるといい、被告人が対向する自転車の異状な行動を予見せず、同一速度のまま進行したことは原判決引用の証拠に徴し明白である。しかしながら対向する自転車、及び同一方向に進行する自転車がそれぞれ正常に進行する限り、被告人において格別減速の措置を講じなくとも無事その場を通過し得る情況にあったことが客観的に認められる本件においては、被告人が対向する自転車の搭乗者がバスの進行して来ることを認めながら無謀にもその進路前方に飛び出して来るような稀有の場合までも予見し、これに対処して予め減速することを要求することは、もはや自動車運転者に対し要求される通常の注意義務の範囲を逸脱した極めて高度の注意義務を要求するものというべきである。思うに、自動車運転者に対し、かかる注意義務まで認め予め減速を要求することは自動車の高速度交通機関たる性能を完全に没却しさることとなる。道路交通の危険に対しては、このような無謀な自転車の操縦者こそ、その責を負うべきである。従って被告人に対し以上の注意義務を課した原判決の事実認定は失当といわなければならない。ただ、被告人としてはこの場合対向自転車との接触衝突を避けるため、突差の措置として、瞬間的に先行自転車の存在を忘れ、左にハンドルを切りすぎたのではないか、又右にハンドルを切り戻し方が一瞬遅きに失したのではないかとの疑は残るけれども、この点について被告人の過失を確認するに足る資料は存しない。本件事故は結局予見し得ない対向する自転車との接触を避けるため不可抗力に基き発生したものであって被告人の業務上の注意義務懈怠に基く過失とは認められない。